誰作?(笑)
この写メ。
仙台で撮ったのではなく・・・帰宅途中の東京の画像。
予報通り積もってます。
最近では、仙台でも降ったねーっていうくらいの量の雪。
明日の朝、凍らないでねーって思いながら足べちゃべちゃにして帰宅。
これ、凍ったらマジで怖い・・・
さて、今日のお題「できていたことが、できなくなるということ」
昨日のブログの続きのような内容ですが、今回のインフル。
ちと、たちが悪く3日間ほぼベッドで過ごしたことは昨日のブログに書いた通り。
3日間トイレと、歯磨きと、水分補給していないということは、シャワーも浴びてないし、洗顔もしていないという普段ではありえない…ばっちい(意味わかります?笑)状態で過ごしたということ。
頭洗いたいなーとか、足の指の間が気持ち悪いなー、耳気持ち悪いなーとか思うけど身体がいうこときかないし、シャワーを浴びる体力も気力もない。(能登半島地震で被災された方々は、これに寒さがプラスされてるんだからしんどいよな・・・早くシャワーが使える環境になることを祈ってた)
おまけに、食事を一切してないから口が乾くし、唇なんてもはやガッサガッサで唇の上にもう1枚唇のせてるくらいの違和感。
こうなると、何もする気おきないし寝る以外の選択もしづらくなる。
食事をするということは、栄養補給、楽しみ以外のも様々な機能の当たり前を維持させているということをいまさらながら自覚する。
でも今回は、インフルでの体調不良な訳だから終わりがみえてる。
長くても1週間。基本3日~5日。
これが。
「老化」という病によって引き起こされた場合、終わりが見えない不自由さと戦うことになる。
人生100年時代。
生きたくなくても生かされる時代。一生にその年代は1度きりで60代を2回体験する人はいない。
現在と同じ肉体のまま、20年後を迎える人もいない。
80代の母は、何でこんなことできなくなったんだろう?何でこんなに時間がかかるんだろう?何でこんなに痛いところが増えたんだろう?と、会うたびに問いかけてくる。
それが老化というもので、今までの自分では知り得なかった今の自分だよ。と伝えると、母はとても悲しそうな顔をする。
当たり前にできていたことが、できなくなっていくという現実。
少し前から、久坂部 羊先生の著書を数冊読んでいる。
日本人は宗教観を「自由」とされているので死という必ずやってくるその日のことを直視しようとしないし、なんならタブーとしている。
でも、どんなに見ようとしなくても必ず訪れるのが死。
通常「寿命」と言える年齢で死を迎える場合には「老い」という経験を少なからずするものだと思う。
自分の思い描いている自分とは別人の自分が現れる。
動きたいと思っても動けない。
できると思っていてもできていない。
まともだと思っていても異常行動になっている。
高齢者が起こす自動車事故も今の自分への不理解や、こんなはずないという思い込みから起こるのだと思う。
今回、インフルで動けない自分から加齢は当然であっても、老化は避けたいなーとベッドの中で考えてた。
自分の身体は自分で清潔にしたいし
自分の身体が欲求することは自分で叶えたい
要するに。
自分の生への営みは自分の死まで自分で完結したい
そのためには、自分の身体を知り、自分の心を知り、自分の魂を知り、身体、心、魂を意識レベルでかんじるようになれること。
メンテナンスも知っかりしていくことが本当に重要。
どんな死に方を選択するのかを決めると生き方も方向と光が見えてくる。
これから。
こんなことをお伝えするのも重要な時代だと思いながら、あらたな取り組み考えてた。
理想の死を迎えるための人生観。
あなたは死生観ってどう考えてますか?
もしよかったらコメントでも公式LINEでもいいから聞かせてくれると嬉しいです♡
何だかインフルから、飛びすぎましたが健康寿命の延伸をまじめに考えている企業としては、とても大切なことだと思っています。
そうこうしてるうちに雪はやんだよう。
明日、通勤通学が混乱しませんように。
おやすみなさい。
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