あれから1年

朝5時台の仙台駅前。加工は一切なしですが、とても美しく震えるほどの感動でした。

生前。夫はこの通りの風景をとても愛していました。朝一番の新幹線に乗るために、送ってくれる車の中で「この季節のこの風景は、ここが日本であることを一瞬忘れる」と、いつもいつも言っていました。

綺麗な街だなぁとも、つぶやいていました。

こんなにも美しい「杜の都仙台」に連れてきてくれた夫には、本当に感謝をしています。

欲を言えば。

もっともっと。この街を一緒に楽しみたかったし、あのお店に行こうねー。行きたいねーと言ってたところには、一緒に行きたかったなぁ。

昨日は、夫の命日。違う世界に旅立ってしまってから1年。

表参道店の移転OPENが2021年6月15日だったというのもあり日々の忙しさに追われ、過ぎていきました。

遺品整理も全く手付かずのこの状態はさすがにマズいでしょう・・・と、言う訳で。

近々、思考と家の整理をしようと考えています。

夫が、最後にお世話になった病院から送られてきた「診断書」をみて、びっくりしすぎて意識を失いそうになって、封印していましたがこれらのものも整理しないと・・・と思っています。

治療と緩和ケアを同時に使うことの難しさや、大病院のへんてこシステム、自分たちが希望する治療へ向かうことに立ちはだかる壁。

リアルに体験すると、何を選択するがよかったのか?今も答えは見つかっていません。

夫は、亡くなる1週間前に癌の影響からくる低血糖で意識を失い、救急搬送されました。

それまでは、車の運転をしたり、普通量とはいかないまでも食事も食べることができていて、正直・・・なんで急に?という思いがとても強かった。

入院してからは、あれよあれよと容態が変化し、とにかく早く家に連れて帰らなくてはという思いだけに突き動かされていて。

退院手続に3日かかると言われたけど、主治医の先生他、病棟スタッフの皆さんにご協力頂き何とか1日半で退院することができて5月26日お昼頃、自宅に戻りました。

家に戻るために、病院内で夫と会った時。正直・・・驚きしかなかった。

立って歩くことはおろか。目を開けることさえしんどそうになっていて。

入院してしまうと会えなくなるコロナ禍を、恨んだのはこれが最初で最後だったと思います。

家に戻り、義姉や長男、親しい友人夫婦と楽しそうに話をしている姿に少しほっとして、今から長期間お世話になるであろう在宅看護の看護師さん。在宅介護のヘルパーさん、ケアマネージャー、在宅医と次々に訪れる人たちにも、冗談をいいながら「これからお世話になります」とあいさつしていた夫。

介護に必要なものを聞き、そろえるために私が買い物に出たのが18時頃。

20時くらいに家に戻ったら。

テレビを消して欲しいと義姉にリクエストしたのを最後に、ぐっすり寝てしまったと。

帰宅してから、水分すらもいらないと言って何も口にしていないのが気になって、起こそうと声をかけるも、全く反応がなく。大きめの呼吸しか感じ取れなくて、意思の疎通ができない。

おかしい・・・と思い、在宅医と看護師さんに連絡して来てもらったのが21時30分くらいだったかな。

水分を摂っていないことを、在宅医に伝えたところ点滴を入れてくれようとしたけど、点滴が入らないと告げられ。

様子を見て、また何かあれば連絡をください。と帰ったのが22時過ぎ。

その後2時45分頃。呼吸をしていないことに気が付き。

在宅医に連絡。在宅医到着後、死亡確定時刻3時27分

自宅に戻って、わずか18時間。

あっという間に逝ってしまった夫。

夫本人が、一番驚いていたのではないかと思います。

元々、単身赴任やら出張やらで家をあけていることが多かったので、今でも帰って来そうな気がしていますが、こうやってあの日のことを活字にできるようになっただけでも、現実を受け入れることができるようになったのではないかと思います。

1年を覚えて下さっていた皆さんが、お線香を上げに行ってもいいですか?と連絡をくださいました。

遺品整理をした後に、形見分けを考えておりますので今しばらくお時間ください。

1年経って、回復傾向な自分を感じることが、できてよかった。

さーて。

色んなことの整理を始めたいと思います。

では。