今日の東京は「花冷え」という言葉がぴったりの気温。
さむい・・・
さて、今日のお題「親孝行は自分のためにする」
お題の通りですが、私自身「親孝行」以前に、どんなことをしても「ありがとう」と素直に感謝を表現しない母親に育てられました。過去形にしてるけど、今現在も「人に感謝する」ということが、欠落している傾向があると思います。
しかし、どんな記憶からそうなっているのかは定かではありませんが、子どもの頃から私は母に対して「かわいそうな人」という思い込みがあり、今まで「世間から見れば」親孝行という内容のことは一通りしてきたと思います。
仙台に母を呼んでからは、給料を毎月支払いもちろん家賃、光熱費はタダ、化粧品にサプリは使い放題・・・
この、どれに対しても感謝ではなく「当たり前」を貫き通してきた母に対し、もうやりつくした感があり、母がかわいそうな人という思い込みはすっかり外れました。
最近、私が思うのは。
親孝行は親のためにするのではなく。親が逝くときに自分自身が後悔しないためにするものなのだということ。
親孝行の目的を「親のため」ではなく「自分が納得するため」と定義を変えてみる。
この定義ならば、対象となる親が自分が提供したことに対して、どんな反応をしても自分自身が納得するためにしていると思えるから、傷ついたり、ムカついたりしたとしても(するんかい笑)心の奥深くに傷となって残ることは少ないような気がします。
ここ数年。母への親孝行には1ミリの後悔も、思い残すこともありません。
できる限りのことを、夫と2人でしてきたという自負と満足感もあります。
自分が納得するための親孝行は終了しました。
幼いころの記憶から、親に対して良い感情を持てない人もたくさんいると思います。
その、親に対していい感情を持てない自分を責めている人達にもたくさんお会いしてきましたし、これからも出会いがあると思います。
親が、この世に存在するうちに。
親のためではなく。
自分が思う、自分が納得できる親孝行をしておくことは自分の人生に後悔を作らないための1つの方法だと思います。
すでに、親がこの世に存在していなく、あなたが何かを後悔しているようなら。
あなたがこの世に生を受けたこと、この世に存在していることが既に。
親孝行になっていることを知って欲しいと思います。
これから、ちょいちょいこんなことも書いていこうかと。
親と子の関係と記憶。
また、書いていきますね。
では!
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