その薬。本当に子どもに必要?

表参道に1本だけある河津桜。数日前から開花が始まりました。

今年は、各地で大雪や低温などがあり東京でも気温の低い日が多いように感じていましが、季節はちゃんと巡るようです。

ここ数年は、この1本の河津桜に春の訪れを感じさせてもらっています。

私が感じる景色は変貌を遂げましたが桜は今年も、去年も。同じように美しくほころんでいます。

さて、今日のお題について。

少し前に比べ。子どもに薬が投与される機会が増えているように感じています。

落ち着きがない。

成長が遅い。

おねしょが治らない。

コミュニケーションが得意でない。

便秘や下痢。

食が細い。

など・・・私が子どものころには、到底薬でよくなるというような考えすらなかったような症状を、薬を与えることで改善を考える医師や親が増えているのだそうです。

以前から、薬に関してはいろんな角度から記事にしていますが、薬は脳や神経、ホルモンの分泌、身体の生理機能に人工的化学物質で作用するものが少なくありません。

身体が当たり前に、分泌や合成、コントロールしているものを人工的化学物質で自然ではない形にコントロールするのが薬です。

アメリカで「最後の良心」と言われた精神科医ピーター・プレギンは、子どもに投薬することは虐待だと言いきっています。(命に関与するような救急医療の場合は含みません)

薬に手を出す前に。なぜ?こうなっているのか?立ち止まって考えて欲しいのです。

個人的な経験の話になりますが、私は小学校3年生くらいまでおねしょをしていた記憶があります。

今だったら、投薬対象な年齢ですよね(笑)

おねしょをするときに、いつも夢を見ていた記憶もあります。

トイレに行っているのに戸が開かないとか。

トイレに行こうと、探しまわるもトイレが見つからないとか。

トイレに行って、用を足そうと思ってもおしっこが出ないとか。

トイレでおしっこしてるのに、誰かに怒られているとか。

そして、夢であー間に合った!とかトイレ見つけた!とかで安心して、放尿しているのが「布団の上」なわけです。

いつも、何かに怯えていた。

いつも、親を困らせる悪い子だった。

いつも、安心していられる場所がなかった。

こんなことを感じていた子どもだったと思います。

おねしょが改善したきっかけを今でも鮮明に覚えているのですが、母方の祖母がおねしょをした私を、自分の布団に招きいれて、冷たかったね。寒かったね。大丈夫だよ。安心して寝なさいね。お母さんには、おばあちゃんが謝っておくからね。と、声を掛けられ祖母とくっついて眠った時に、安心して寝れたことがきっかけだったと思います。

あくまでも、私の個人的な経験です。

ちなみに、弟も随分成長するまでおねしょしていた記憶がありますが、今はしていないと思います(笑)

私は、4人兄弟ですが、それぞれ子どものころ相当やらかしてます。

幼稚園から行方不明になるとか。

学校に行ったはずなのに行ってないとか。

転校した学校が合わないから元の学校に行っちゃたとか。

なんだか色々です。

母は大変だったと思いますが、今になって思うのは。

母にかなりの特徴があったということ。両親が不仲だったということ。

これは、かなり影響していると思います。

でも。

今は、全員おばさん、おじさんになっていますが(笑)

立派な大人になり、それなりに暮らしができていて、私以外は子孫も残しています。

こうなると、幼少期に何がどうでも。母の子育ては正解だったんだと思います。

今日のお題については、これが結論ですが私自身、幼少期の記憶に支配され、生きづらさを感じて生きてきた部類です。

また、違う角度から書いていきますね。

最近・・・寝不足が続き目の下のクマが半端ない・・・

1分でも早く寝ようと思います。

では~

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